無の日々

キモオタヒキニート生活

月にいる

祖父が91歳(92歳だったかもしれない)の大往生でなくなった一週間後、夢に祖父が出てきた。祖父はいつものようにベッドで眠っていて、私を見るとすこしだけ口元をゆがめて笑う。入れ歯を入れていないときの祖父の笑顔はいつも妙にやさしく見える。祖父はしわがれた声で「もうすぐ死ぬ」と言った。あ、『夢十夜』みたい、と私は思った。私の頭というのはなかなかに単純なつくりになっていて、その日の夜に読んだものがすぐ夢に出てくることがよくあった。その日も寝る前に青空文庫夢十夜を読んだのだ。祖父と夢十夜、おかしな組み合わせだと思った。
私は祖父に「大丈夫、元気になるよ」と言った。祖父は肯定も否定もせずに笑っている。その後ゆっくりと私を手招きしたので、私は祖父に歩み寄りその冗談のようにしわくちゃの手を握った。もうすぐ祖父はいなくなってしまうのだと考えると、それまで私についてこれていなかったあらゆる感情が群れになって心臓を取り囲んできた。思わず「寂しい」と呟いたら涙が出てきた。祖父は腕をのろりと上げて私を抱きしめる。
「おじいちゃんは月に行くんや。月に行ってお前のこと見といたる」
これももしかしたら私のばかな脳が出力した何かのメディアの言葉だったのかもしれない。なぜ天ではなく月なのかもよくわからなかった。けれど私はなんだか本当に感動して、同時に海のように広く深い安堵感に包まれた。ああ、おじいちゃんは消えることはないのだ、と心から感じた。私は「ほんまにうさぎがおるか見てきてね。私もいつか行くからね」と返事をした。この返事も今考えるとよくわからないのだが、夢の中ではこの返事が最良であり伝えたいことのすべてだと思えた。祖父は微笑み、私の背中を弱いちからで叩いた。
朝起きると悲しみが傍にあった。私は急いで祖父の仏壇に行き、正面に正座して手を合わせた。そうすると悲しみと喪失感はさらに増し、ついに思いきり泣いてしまった。お通夜でもお葬式でも泣けなかったのに、こんなに泣けるものなのだな、と思い少し安心した。やがて泣き疲れ、祖父がよくいたこたつ布団で眠ってしまった。祖父はもう家のどこにもいなかった。しかし、夢の内容を思い出すと悲しみは少しうすれた。果たして月にうさぎはいたのだろうか。

『紙の月』

宮沢りえが「一緒に行きますか?」とこちらに問いかけたとき、私の体は少しも画面に近づかなかった。枠の中では小林聡美が同じように目を瞠って立ち竦んでいる。もし、運命の女(もしくは男)が私の前に突如現れたらどうなるだろう。窓枠に手をかけ、私に手を差し伸べる女(もしくは男)。一緒に行こうとその人は言う。私は声が出せるだろうか。ましてその手を取ることなど、果たして出来るだろうか。 私の足はいつもガムを素足で踏んでいるようにその場からなかなか離れない。私は怠慢で、臆病で、愚かである。それなのにいつも何かを探している。誰かに変えられたがっている。ある日突然ヒーローになったり、何かの才能が目覚めることをずっと待っている。しかし変化などそうそう訪れはしない。訪れても、私は見てみぬふりをして足踏みをするのだろう。誰か来て、とオウムのように繰り返しながら。 宮沢りえが「一緒に行きますか?」とこちらに問いかけてくる。私は動けない。彼女のように素足で走れない。髪を振り乱し、夢のように軽やかな足取りで走っていく宮沢りえのつむじを、窓の内側からじっと見つめ続ける。

祖母

煙草を吸わない祖母が肺がんだと宣告されたとき、ああそうですか、わかりました、と心の中で何度も呟いた記憶がある。あの時はっきりと知覚したのは、神はいないことと命は平等であることだ。いいことをしていたら報われるだとか悪人は地獄に落ちるだとかそういう話は本当にただの洗脳じみた教訓で、実際はただ起こった事実だけが積み重なって生態を動かしている。生と死は感情を持つ我々にとってあまりにも理不尽な暴力で、意味づけをしなければ気が狂ってしまうから人間は与太話を作る。祖母は少しも煙草を吸う人ではなかった。煙草を吸っていたのは祖父だった。夜中に隠れて、小さな孫のいる部屋で煙草を吸っていた。あのとき、ほとんど無音に近くされたテレビから漏れる光を浴びた祖父の横顔をずっと覚えている。目を覚ました私に「寝なさい」と背中で言った祖父に優しさの色はなかった。こんなものか人間は、とそのときほぼ無意識のうちに感じたこともよく覚えている。
祖母はよくできた人だった。優しく、ユーモアがあり、とにかく気丈だった。そんな祖母が苦しんで死んでいった様を見てからというもの、なんだかいろんなものが作り物に見え始め、ばかばかしく感じるようになった。祖母の人生とはなんだったのだろうとおこがましいことを考える日も未だにある。
祖母の記憶でひとつ、やたらに鮮明なものがある。正月にテレビを観ていたとき、テレビから『ライオンは寝ている』が流れてきた。祖母は画面を眺め、流れてくる音に耳を澄ましながら「この曲、昔すごい流行ってたんよ」と呟いた。私は当時ライオン・キングを観たことがなかったのでその曲をまったく知らず、初めて聴いた、とだけ返した。祖母は少しだけ頬を緩めてじっとそのメロディーを聴いていた。あの時の祖母の顔が妙に寂しそうで、私はなんだか、祖母の郷愁に触れたような気持ちになった。そこに特別な思い出があったのかなかったのかは今となっては知る由もないが、祖母の人生の一片がその瞬間に表出したことは確かだと感じた。祖母は何を感じ、どう生きてきたのだろうか。少なくとも彼女は神はいないということをきっと知っていた。病に蝕まれ、痛みに耐えられなかった祖母はある日「楽にしてほしい」と母に話したそうだ。その話を聞くたびに私は、ああそうですか、と何度も繰り返す。人間は誰にも誰かを救えない。
この前久々に祖父宅を訪れると、いつもどおり祖母が遺影の中で笑っていた。私はいつも、かける言葉を探しながら仏壇に手を合わせる。

ss

 女に恋をした。美しい女だ。女の恋人は俺ひとりではなかった。女は、どんな男に対しても慈悲深く、両手でも余るほどの愛を分け与えた。弱った子猫にミルクをやるように自分の体をすべての男に分け与えた。男は皆、女の体を与えられるがままに貪った。女の素性や内面は他の男共にとって興味の対象とはならなかったようだ。しかし俺は、俺だけは女のすべてを愛していた。毎夜灯りを煌々とともして女の帰りを待ち続けた。
「あら、起きてたの」
女の花のような声を聴けるのは決まって朝日がのぼったあとだった。女は俺のことをつまらなさそうな目で見やる。俺は女の顔を見られることがとびきり嬉しく、微笑みながらその深い茶色の瞳を見つめていた。昔は女も俺と同じような輝きでこちらを見つめ返してくれていた。あなたのことを心から愛していると言いたげに、俺のことを視線で包み込んでいた。だが、その美しく尊い愛の雨はもう俺に降り注がない。女は不満足な男が好きだった。足りない足りないと嘆き悲しむ人間に自分の体を差し出してやることをこの世の何より快感としていた。対して俺は、もう何も欲しいものはなかった。女がただ俺のそばにいるだけで、途方もない満足感で心が満たされた。女はそんな俺にすっかり飽きているようだった。あの日しなやかな指と穏やかな表情で手渡してくれた女の部屋の合鍵を、俺がいつ返すものかとその小さな頭できっと考えている。合鍵についている塗装の剥げたキーホルダーは二人が協力してゲームセンターで取ったものだと、そんなことすらおそらく忘れてしまっている。だが俺は、絶対に女のそばを離れないと決めていた。愛している。俺にはお前だけで、──その逆もまた正だった。それに、お前といるだけで俺は無敵になれるのだ。たとえお前が立ちはだかる敵になろうと、それは確かに変わらないのだ。
女がまた部屋を出て行った。俺は今日も電気をつけて女の帰りを待つ。女はきっと今日も灯りのともる家に絶望しながらドアノブをひねる。俺は幸せだった。

違国日記4巻を拝読した

違国日記という漫画を購読してるんですが、毎度毎度人間の感情に寄り添ったり見守ったりしてくれるのが本当にすごい。なんというか、傍にいてくれるという感じがする。ついさっき4巻を読みました。すごいな~。読んでて涙目になってしまった。いろんな考え方と生き方があって、それを否定する権利も義務も誰にもないのだという気持ちに強くなりました。

4巻で特に感銘を受けたのが掃除しない槙生ちゃんを朝ちゃんが指摘するシーンです。私は槙生ちゃんほどしっかりしてないけど考え方?生きる傾向?としては槙生ちゃんに近くて、朝ちゃんみたいなタイプの人がとにかく怖くてしょうがなかったんですが、朝ちゃんの中にある砂漠とか純粋な疑問とかを見て、なんというか心が楽になりました。私が今まで生きてきたなかで私に「なんでこれをしないのか」と問いかけてきた人たち、私には彼らが鬼か神様に見えていましたが、彼らもまた人間だし彼らは私を弾圧していたわけじゃなかったのかもしれない、それこそ本当に国が違うだけだったのではと思いました。思考をまとめずに書いてるんでよくわからない文章だな。ごめんなさい。とにかく今回の巻を読んで、もしかしたら自分は生きてていいのかもしれないなという気持ちになれました。自分は頭がおかしくて何もできなくて人に迷惑ばっかりかけているし、空想ばっかりして生きるのが下手だといつも思ってるんですが、なんというかな…救いが見えたというかな。私の中にだけある世界は私のものだし、人にも世界があるんだよなって思えました。文字に起こしてみると本当に当たり前の話だなって思うんですけどね。社会が大きな集合体に見えてて自分はそこから弾かれ続けて生きてるんだという気持ちをずっと抱えてるので、自分と人が対等で平等だとあんまり思ったことがないので…。

ヤマシタトモコ先生の漫画はおそらく8割ほど購入させていただいてるんですが、毎回すごく繊細で時に大胆で、感情の細かな表現が見事だなと個人的に感じています。これからもひっそりと応援しつづけてゆきたい…。先生の感性がこうして作品となって世にあるというだけでホントに救われます。いや~素晴らしいな~!

それにしても私文章下手だな。練習しようかな。